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今までにあった最大の修羅場 £101
186: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/12/27(金) 11:20:28.87
はたから見たら「え、それが最大の修羅場なの?」という内容なのですが、
自分が小1のとき、親が喧嘩しました。
原因はくだらないことです。父が仕事から帰ってきたとき、
くだらないバラエティ番組を私達子供が見ていた。
普段は禁止でした。
父がとがめ、母がこれくらいいいじゃないと言い、口論に。
しまいには怒鳴り合って母が泣きながら「出て行く」と。
子どもたちは泣くしかできなかった。本当に怖かった。
結局母は出て行かず、両親の喧嘩はそれ一度だけです。

その後の人生でもそれなりに、バイクで事故ったり、仕事が首になったりなどあったけど
あの時の恐怖が一番です。
今は結婚して子供がいますが、子供の前で夫と喧嘩したことは一度もないです。

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今までにあった最大の修羅場 £101
178: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/12/27(金) 08:51:37.86
小学生の頃に見た母親と兄の喧嘩
普段面白い性格の兄ちゃんが母に向かって椅子ぶん投げてた
幸い当たらなかったけど、落ちた椅子を更にぶつけようとしてたから俺号泣しながら父親のところに行ってヘルプ
何故かそこから両親の喧嘩になって、普段から仲悪かったせいもあり両親は別居
8年程たち去年離婚してました

喧嘩の声を聞きたくなくて当時大好きだったピアノを弾いてたけど、どうしても涙を抑えきれなくて泣いてたら父親が部屋に入ってきて俺を抱き締めた
父親の涙を見たのはあれが初めて
「お母さんも悲しんでるから行ってあげなさい」って言われて母親のところに行ったらやっぱり母親も泣いてた
後はあんま覚えてないけど一生懸命話しかけてた気がする

以来、いつかもし子供ができたら、絶対に子供の前で大きな喧嘩しないって誓った

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今までにあった最大の修羅場 £101
166: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/12/26(木) 22:51:27.44
ワールドワイドな名前騒動ならウチでもあった
従兄の長男がまだお腹の中にいたときに早々に名前を決めて
最初は「多少堅苦しい響きのほうが年取ったときに貫禄が出ていいんだ」って言って
時代劇に出てきそうだがまあまともな部類の名前でお腹に向かって呼び掛けてた

しかし実際にお腹から出てきたら
従兄が突然これからのグローバル化社会に対応するためとして
名前を「譲治」に変更すると言い出した
谷崎潤一郎の「痴人の愛」を買って来て渡したら
数日後会った時には元の時代劇風の名前に戻っていた

【ウチの妹夫婦、昭和の暴走族みたいな当て字で名付けようとした】の続きを読む

今までにあった最大の修羅場 £101
160: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/12/26(木) 22:15:25.30
子供が生まれると、時折人って正気を失うんだなぁ、って思う。
義弟嫁が息子に付けたいっつった名前、「♪」だとさ。文字ですらねェ。
これで「らん」って読むんだと。読めるか?…よしんば読めたとしても、笑わずにいられるか?
弟は弟で「ワールドワイドな名前だ!」と全面賛成の構えで、一時期義父母は義弟夫婦との絶縁も視野に入れてた。

当然、義両親はそんな珍奇どころじゃない名前を初孫に付けられちゃたまらない、って事で大反対。
「話し合いには第三者が必要だから」って理由で俺の家に集まってギャースカやってくれやがった時が最凶の修羅場だった。
結局その話し合いは、開始10分で義弟嫁が「この子の素敵な名前を否定するなら、この子と一緒に死んでやる!」
と泣き叫んで俺ん家を飛び出してご破産。義弟も「あんたら、最低だ!」と叫んで出て行った。
嫁と義父母は泣いていた。リビング半破壊された俺の方が泣きてェっての。

…まあ、結局役場で「バカかテメエは」的なこと言われて門前払い喰ったそうだ。
役所の人GJ&親類がご迷惑かけてゴメンナサイ的な意味でカキコ。

ちなみに子供の名前は義母が義弟嫁を言いくるめて、「嵐」と書いて「らん」になった。
まあ、♪よりは遥かにマシ…なのかな?

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今までにあった最大の修羅場 £101
51: sage 投稿日:2013/12/25(水) 23:36:13.68
いつもまとめサイト見てるだけしたが
そういや修羅場あったなーと思って投稿しますね

カーチャンは私達子供が小学生低学年の時に離婚しました
離婚理由は「身体・精神の異常な束縛」だそうで
子育てしつつパートやらして見聞を広めたい母に、父は絶対に専業主婦を望んだための別れでした

離婚後の母は私ら子供を育てるためにめっちゃ働きました
早朝に工場、昼間は会社員、深夜にまた工場の3かけもちで
睡眠時間は、後から聞くと1日3時間であったといいます

んで、感じの修羅場ですが、それは私が小学3年のときの引っ越しです
カーチャンは懸命に働いて、夕方はお得意様の接待に出て(かなりの美人なのでいつも呼ばれるのでした)
工場のない日には深夜に帰宅することも多くありました
でもうちら兄弟は慣れたもので、深夜に帰宅するカーチャンのためにお茶漬けを用意して就寝するシステムでした

その朝、なんとなく「今日引っ越しするからねー」とは聞いていたのですが
接待疲れで、帰宅するなり衣服をすべて脱ぎ捨てて、床に倒れたカーチャンに
何も訊けませんでした カーチャンはブラジャーも捨てて、廊下にパン一でしたので、下半身に毛布をかけました

【「今日引っ越しするからねー」とは聞いていたのですが 帰宅するなり衣服をすべて脱ぎ捨てて、床に倒れた母親…】の続きを読む

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